GARNET CROWとは、男女4人組の音楽グループでメンバーで作詞・作曲・アレンジをしており、他アーティストに提供するなど、クリエイティブ集団とも呼ばれ、幅広く活動していました。
今回は、GARNET CROWのメンバー4人のプロフィールや楽曲へのこだわり、解散の原因と噂されている「横浜事件」と不仲説などをまとめてみました。
GARNET CROWの名前の由来とルーツとは?
GARNET=紅、赤
CROW=カラス
和訳すると「深紅のカラス」となる。
「GARNETっていう宝石の深い紅にかけまして、深みのある音楽をやっていきたいって意味なんですね。CROWは、言葉の響きがいいのと、あと『深紅のカラス』っていう不気味さも何か引っかかっていいかなーって。」
と初めてのファンクラブイベントでギターの岡本仁志が語っていました。
楽曲のルーツはネオアコ
ファンクラブ名は「G-NET」
GARNET CROWは、男女4人組の音楽グループ。
メンバーで作詞、作曲、アレンジをしており、他アーティストに提供するなど、クリエイティブ集団とも呼ばれ、幅広く活動していた。
倉木麻衣さんのデビュー前に、デモテープ作成が行われた際に、4人が集結した。その時に意気投合し、結成しました。
初めてテレビ出演が決まった際は、1週間何も手につかなかったと語っていました。
メンバーは?
▫️中村由利(ボーカル、作曲)
読み なかむら ゆり
愛称は、ゆりっぺ。
ファンクラブ会員ナンバー 1
ファーストライブのMCで「自称歌姫」と自身を紹介した。
メンバーのAZUKI 七と仲がよく、テレビ出演の時など、手を繋いで出ていた。
音楽ディレクターのような表に出ない仕事を志向していたが、周囲からの薦めがあり作曲・ボーカル担当になりました。
作曲家として、数々の曲を提供しており
「止まっていた時計が今動き出した」と言う曲をZARDに提供しており、ZARDのボーカル坂井泉水が亡くなった際に行われた追悼ライブではゲスト出演し、コーラスで参加した。
幼稚園の頃からエレクトーン・ピアノを習っており、ピアノは高校まで続けていました。音楽好きは両親の影響で、家には大量のクラシックのレコードがあったため、音楽に慣れ親しんで育ちます。
ボーカルとして健康面に対する意識も強く、メンバーの発言によると、歌う前にはカレーやアルコールなどの刺激物は口にしない、夜は自分で決めた時間以降には物を食べない、自ら水を持参してテレビ収録に臨む程徹底しており、移動の際は大量の水を運ぶため、スーツケースがパンパン。
しかし、特別な体力作りはしない。
「使う筋肉は使って鍛えろ」がモットーで、ライブなどに向けての体力作りなどは行わない。
その理由は、体操中に肋骨にヒビが入ったことがあるため、独自の運動はよくないと思ったから。
リハーサルで歌い込むため、問題ないとの事。
▫️AZUKI 七(キーボード、作詞)
読み あずき なな
ファンクラブナンバー 7
7月29日生まれ
ファンの一部から、七様と呼ばれている。
ファーストライブでは、フルートを披露した。
行動派で、時々メンバーと連絡が取れなくなる。
趣味の中には「土いじり」と、AZUKIさんらしい言い回しをする
GARNET CROW結成前は、菅谷りえ(すがたに りえ)と言う名前で、タレント活動をしていた。ディープ・キッチュという関西の番組にレギュラー出演しており、黄色い帽子に赤いランドセル姿で、小学生コスプレをして出演していた。
写真を撮るのが趣味で、CDジャケットなどに使われている。
「基本(的に)女性ボーカルは嫌い」だが「ゆりっぺの声やコーラス・ワークにベタボレ」で、声も好きだが、センスそのものが好き。
服にこだわりはなく、素材と着心地がよければOK
2005年のライブツアーでのエピソード。(1/28に行われた愛知勤労会館でのライブ。)
アンコール後に支度が間に合わず、曲が流れ出してから慌ててピアノまで走ってくるというハプニングがあった。
曲作りに関しては、先に作曲担当の中村が作り、仮歌として適当な言葉や英語が入った状態の物に歌詞を付けるのが基本で、書くという作業は日常にあるが、歌詞を書くとは全く別で、就寝寸前の状態になった後、作詞を開始。
無の状態で作る。
作詞に必要な7つ道具を聞かれた際も、1~4までが「無心」と答えるほど”無”が大事。
「Holy ground」はデモをもらった時に、完成形が見えたと語っていた。
さまざまな、本や映画などをモチーフにすることもあり、中には聖書の中の一節や、作家オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』、松谷みよ子の童話シリーズ『モモちゃんとアカネちゃん』などが挙げられる。
GARNET CROW解散後「NPO法人百人の会」で政治活動を行っています。
具体的な政治活動についてはわかっていませんが、今は削除されましたが、解散して少したった頃、YouTubeにマイクを持って喋っているAZUKIさんの様子がアップされていたのを見ました。
そこに映っていたのは、紛れもないAZUKIさんで、話していた内容は
名前は イワイ リエ
子どもが2人いること(2013年時 2歳と4歳)
などでした。
この事から、GARNET CROW時代には結婚、出産をしていた事がわかり、更には苗字である「岩井」にファンは注目します。
それは、GARNET CROWのライブなどでサポートメンバーでもある岩井 勇一郎さん(三枝夕夏 IN dbのギタリスト)が旦那なのではないか?と話題になったからです。
岩井という苗字は珍しくはないので、本当のところはわかりませんでしたが、可能性は大いにあると思います。
▫️古井弘人(キーボード、アレンジ)
読み ふるい ひろひと
ファンクラブナンバー 3
ゴッドハンドの異名を持つ。
GARNET CROWの頼れるリーダー
GARNET CROWデビュー前、DEENの山根公路とバンドを組んでおり、そのバンドでデビューする予定だった。2002年に行われた、倉木麻衣のライブツアー『Mai Kuraki Loving You… Tour2002』では、全ての曲のライブアレンジを行った。
GARNET CROWの多数の楽曲の編曲をしており、楽曲制作における実務的なリーダーです。他アーティストからも信頼を得ており、演奏・編曲の腕前から「ゴッドハンド」の別名を持つ程です。ライブにおいては、パフォーマンスとして激しいキーボード演奏を行うのが特徴的です。あまりにも激しく弾きすぎて、キーボードを壊したこともあるのだとか。
GARNET CROWの活動と並行して、GIZAクリエイターズスクール(後にギザミュージックスクールに変更)の講師をしていました。
こちらの、ギザミュージックスクールですが、2020年6月末で閉校しました。
2018年、ビーイングを独立し新たにALPHA REGARDを結成。2019年6月30日にトーク&ミニライブを開催した。
メンバーの中では唯一Twitterをしており、時々GARNET CROWの事も話題にする。
▫️岡本仁志(ギター)
読み おかもと ひとし
愛称 おかもっち
ファンクラブナンバー 9
岡本仁で活動していたが、ソロアーティストとしてデビューすることとなったため、ソロデビューのタイミングで、岡本仁から現在の表記である岡本仁志へと改名した。
ニックネームであるおかもっちは、作曲家 大野愛果によって付けられた。
1999年にZARDへの楽曲提供、船上ライブのサポートメンバーとして、表舞台へ出る。GARNET CROW結成前は、数々のアーティストのサポートメンバーでギタリストとして、活躍。
ファーストシングル、ミニアルバムを2枚発売以降、ソロ名義をSUPER LIGHTに変え、活動した。
ギターを始めたのは中学2年の頃で、ピアノを弾いていた友人を見て、自分も音楽をやりたいと思った。ドラムをやりたかったが、騒音などの問題でギターにした。当時の練習場所は車の中で行っており、その理由は、受験生の兄が家で勉強していたから。好きな言葉は「成せば成る、成さねば成らぬ何事も」
GARNET CROWでは、ギター演奏に専念し、作曲などに携わることはなかったが、ZARDのほか、倉木麻衣、小松未歩らビーインググループ所属の他アーティストへ曲を提供していた。
倉木麻衣に作曲・編曲として提供した「P.S♡MY SUNSHINE」はオリコン8位を記録した
またZARDの坂井泉水が生前最後に行った2004年のライブツアーにも、古井弘人同様サポートメンバーとして参加した。
2004年以降の同バンドのライブにおいては、岡本がボーカルとして歌うコーナーが設けられていて、歌う曲は主にGARNET CRFOWの楽曲が多く「Last love song」「千以上の言葉を並べても・・・」「君の思い描いた夢 集メルHEVEN」「未完成な音色」「Mysterious Eyes」「忘れ咲」などを歌い、自身のソロ曲「Lose My Breath」もGARNET CROW livescope 2010+~welcome to the parallel universe!~で披露された。
GARNET CROWといえば名探偵コナン
GARNET CROWと検索したら、必ず上位に上がるのが名探偵コナン。
デビュー曲から、コナンのタイアップを務め、解散まで 11曲の主題歌を担当した。
Mysterious eyes(OP)
夏の幻(ED)
夢見たあとで(ED)
君という光(ED)
忘れ咲き(ED)
涙のイエスタデー(OP)
世界はまわると言うけれど(ED)
Doing all right(ED)
As the Dew(OP)
Over Drive(映画)
Misty Mystery(OP) |
5周年記念プレミアムライブ開催
GARNET CROW premium live ~happy 5th anniversary~
結成5周年を記念して、2005年12月16日、17日、大阪中央公会堂で行われました。800名×2の1600名限定LIVE。
「Best」購入者応募特典の当選者だけが招待されたライブは、一流アーティストによるオペラ、コンサートが行われた歴史あるホールで行われ、特別なライブとなりました。
途中、夢みたあとでで、ゆりっぺが涙ぐむ一面もあり、もらい泣きしてしまいました。
後にアルバム『THE TWILIGHT VALLEY』に収録された「春待つ花のように」初披露。
このライブの映像は、GYAOに期間限定でフルサイズで視聴できましたが、現在はもちろん見れません。2006年10月4日に発売されたアルバム『THE TWILIGHT VALLEY』の初回特典、解散の際に発売された『GARNET CROW PREMIUM BOX』にも特典として、映像が収録されていますが、ダイジェストのためフルでの視聴は出来ません。フルでの映像はかなり貴重なものと呼べます。
GARNET CROWの名曲たち
作曲担当の中村由利が、学生の時に作った曲。
何度もリリースが検討され、その度に直しを加え時間をかけて作った1曲。
プロモーションビデオは、桜の花びらを自分たちでハシゴに登ってヒラヒラさせたとのエピソードがある。
GARNET CROWの中で1番売れた作品で、この曲がきっかけでテレビ出演などするようになった。
GARNET CROW live scope 2004~君という光~で初披露され、その後アルバム「I’m Waiting 4 You」に収録された。
普段、中村由利は曲を作る時には実体験を参考にすることはあまりないが、珍しく実体験をメロディに乗せた1曲。
中村由利が、親友の家族が急逝した際に、葬儀に参列したことに影響を受けて作曲したが、その事を伝えていないにもかかわらず、AZUKI七が同じイメージを以って歌詞を書き上げたため、お互いびっくりしたという制作上のエピソードがある。
特に、最後の歌詞「最後の雨が虹に変わるよ」の部分が、お葬式が終わり空を見上げたら、雨が上がって虹がかかっていたそうで、歌詞と全くリンクしていたそうです。
ゆりっぺは、仮歌を歌ってる時に歌詞を見て泣きそうになったそう。
タイトル「君を飾る花を咲かそう」も、AZUKI 七が、最初デモを真っ白な状態で聴いた時に、人が旅立っていく様子が映像として浮かんだ。それも死んで旅立つイメージが一番に浮かんで、自分よりも先に旅立っていく人や、お花畑を作った中を見送る情景を想像して一気に書き上げたそうです。
今までも、お互い見える映像が一緒だったりする事はあったが、ここまで具体的にそれを思わせる歌詞になっていたのは初めてだったそうで、とても不思議なエピソードがある曲です。
カップリング2曲も、ファンの中でも人気かある(夜深けの流星達)(やさしい雨)
5度目の『名探偵コナン』タイアップ使用曲。
ミュージックビデオには、AZUKI七が撮影した赤川鉄橋の写真も掲載されている。
夢みたあとでにつづき、TOP10に入った曲で、初期から、中盤まではライブの1番最後(アンコールの2曲目か3曲目)に歌われることが多く、エンドレススパイラルで閉めるのが定番だった。
メンバーの直筆サインが盤面に入った「まぼろし盤」が存在する。曲のタイトルに合わせた企画で、初回生産分のうち100枚にサインを入れ各地CDショップ店頭へと出荷するというもの。初回限定生産盤などとは異なりどこのCDショップに入荷するかわからないため、希少価値が高い。
音を重ねるのではなくあえて音を引くことによってシンプルさの境地を見出したという制作上のこだわりをみせた。また、中村由利が、エクササイズで行っていた体操をしている最中の事故で肋骨を折り、骨折したままこの作品のレコーディングを行ったというエピソードがある。
アルゼンチン スパニッシュ・ラテンのサウンドがカッコイイ1曲
読みは「アルヘンティーナ」
ヨーロッパのシャンソンやカンツォーネなど、民族音楽の影響を受けており、踊り子について歌っている。
この楽曲は古井弘人がアレンジにひときわこだわりをもって制作した楽曲で、リーダー古井弘人がGARNET CROWの中で一番好きな曲であるという。
略称は「なつまぼ」
ファンと公言しているNMB48の山本彩がGARNET CROWのなかでも、特にお気に入りだと語った。
和訳すると「聖なる場所」
ファンの中で「聖地」と呼ばれている。
歌詞の中に2回「聖地」という言葉が出てくる。
風とRAINBOW/この手を伸ばせばのカップリング曲。
カップリング曲のファン投票で1位となっている曲で、GARNET CROWらしさが前面に出たナンバー。
ライブVerでは、最後のサビに入る前の中村由利のアカペラがカッコイイ!!
解散まで数回行われたカウントダウンライブでも、披露されたナンバー。
4thシングル
この曲は、松谷みよ子さんのズ童話シリーズ「モモちゃんもアカネちゃん」がモチーフとなっています。
このお話の最後に、モモちゃんとアカネちゃんのお父さんとお母さんが離婚します。
そこが歌詞の最後の
「たった一言で
終わってしまう事もあるのにね
同じ土の上では生きてゆけない
二つの種の想い」
の部分です。
まさに、AZUKI 七にしか書けない詞に中村由利の繊細なメロディが相まって、名曲が生まれました。
突然の解散発表!その理由とは?
2013年6月9日をもって、2013年に13年の歴史に幕を閉じた。
GARNET CROWは2013年3月のツアー最終日に解散を発表しました。2時間半のステージを終え、再度ファンの前に現れたメンバー。
客席から見て、左から古井・岡本・中村・AZUKIと並び、中村の口から解散する旨が伝えられると、客席からは悲鳴に近い声が上がった。
「GARNET CROW livescope 〜THE FINAL〜」の最終日の大阪公演をもって解散しました。
解散した理由「全てを出しきった」
突然の解散には多くのファンから憶測が飛び交っていて、その理由について真相が気になるファンは多いようです。
解散の真の理由は不仲だった?
GARNET CROWの解散理由については、ボーカル・中村由利とキーボードAZUKI七の不仲が原因なのではないかだと言われています。これは、「横浜事件」と呼ばれる、あるエピソードが原因です。
横浜事件とは、横浜で行われたライブで、中村由利が岡本仁志と古井弘人には話を振るのになぜかAZUKI七にはまったく振らず、無視をしたというもの。
ファンからの問いかけで、最終的にはAZUKIさんにも振ったそうですが、この場にいたファンのなかには違和感を感じた人もいたようです。
しかしながら、たくさんのファンの前だと緊張もするでしょうし、予定通りには行かないこともあると思います。
この件については、あくまでも噂であり、
「GARNET CROWとして、全てを出し切った」
という、中村由利の言葉が全てではないでしょうか。
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